ふと目が覚め、眠っていたのだなと気づく。
さあ寝ようという構えから寝入ったような覚えはなくて、
今って何時ごろなのだろかと、それさえ察せられない曖昧な感触の中、
ほのかに冷えた薄暗さが垂れ込めている室内なのを見回すべく、
頭からかぶっていた毛布の中で身じろぎしかけたが、
“…あ。”
すうすうという静かな寝息が聞こえて、
身動きしかけたその初動がひたりと止まる。
横になったまま、毛布に掛けられたカバーの音さえ恐れるようにそぉと見上げれば、
それは端正なお顔がこちらを見下ろしていて。
ああそうだった、今宵は供寝をしていたのだと、
思い出しつつ その相手のお顔からついつい視線が外せなくなる。
やや長く伸ばされた前髪の陰になった目許は頬の縁へ長い睫毛を伏せており、
すべらかな頬を左右へ分ける すんなりと通った鼻梁の下、
富貴な花のように整ったまま軽く合わさった口許は瑞々しくも柔らかそう。
鋭角なというよりは儚げな愁いを一刷毛乗せたようなそれながら、
女性のような、頼りなげなとする印象とは一線を画しており。
聡明透徹な繊細さには見惚れるよな神聖な嫋やかさが添うていて。
“……。////”
ぎゅうぎゅうとくっついているわけではないながら、それでも毛布の中はたいそう暖かで。
脆弱な自分よりは よほどしっかりした精悍さをたたえた肢体をしておいでの師だが、
とはいえ、むくつけきとかいうよな屈強武骨なそれではなく。
寝間着代わりのお互いのシャツ越しに伝わるさらさらした温みが、
何ともささやかで、なればこそ そこが愛おしくって。
“……。”
慕ってやまない人の安らかな眠り、
それへ添うている至福に頬や口許がほわりと緩みかかったが、
それを待て待てと引き留めたものがある。
きっちりと合わせ損ねていたらしいカーテンの隙間からの光が
一条のリボンのように窓辺から寝台までを伸びており。
何処へ逃れても無駄だぞという傍若無人さで
傲慢にして気高き存在が月の眷属たる彼を迎えに来たのかと思えたほど。
このままでは黎明と共に冷ややかな冷気を忍び込ませぬかと案じ、
名残は尽きぬがそれでもと、そおと身を剥がし
毛布の中から寝台の輪郭を乱さぬようにと抜け出して。
素足で踏んだ床板の冷たさに思わず竦みかかった薄い肩へ、
足元に脱ぎ散らかした衣類の中、ざっくりとした編み目のカーディガンを拾い上げると、
ごそごそ羽織りながら窓辺へ近づく。
厳然と伸びる月光は その周囲が明るみに暴かれることはなく、むしろ尚の暗さに沈むほど。
そうまで冴えたまま真っ直ぐ描かれた青白い光の条に導かれ、
緞子のカーテンの合わせ間際へ進み寄れば、
「…。」
にぎやかな地域でなし、それでも灯された街灯やら何やらという街の明かりを
ささやかな漁火のように眼下へ見下ろし。
この時期にはまだまだ冬の趣だからか、
いやにくっきりと輪郭の冴えた月が夜陰の遠間へ浮かんでいて。
何か語るでないそれだが、視野に入るとつい視線を留める存在。
夜によしみが深い身のせいか、もしかして昼間の陽より見上げてきた自分かも。
それほどに馴染みのある真珠色の真円を何ということもなく見つめてしまう。
目を凝らせば周囲に星も見つかるのだろうか、そういや赤毛の先達にいろいろ教わったような。
ぼんやり思うがそこまではせず、くぐった恰好の分厚いカーテンを背に立ち尽くしておれば、
「…芥川くん?」
低められた柔らかな声がして。
はっと我に返ったのとほぼ同時、いやいや微妙に先んじ追い抜かれた間合いであったと、
思う間もなく暖かな懐が背後に開き、そのままこちらの薄い背中をくるみ込む。
「眠れないのかい?」
寒いだろうにと、そちらはブランケットを広い背へ羽織って来たのを余裕で広げ、
自身の懐へ掻い込んだ芥川ごとくるみ込んでしまった太宰だったのへ、
「…すみません。」
ああ、起こしてしまったのだ。気配には敏いお人だもの、当然だ。
何て迂闊だったものかと、項垂れかかった頭の頂上へ、
身を寄せた所作の先、太宰がふわりと顔を寄せてくる。
髪の中へくぐらせた吐息とともに、くすすと笑った気配が届いて、
「怒ってないよ、ただ…。」
私よりも一体何へ気を取られたのかと思ってね、と。
気を遣ってそおと抜け出した辺りから実は気が付いており、
しばらく待ったがなかなか戻らぬ青年へ、
半分は焦れてのこと、追って来たのだという経緯を覗かせたものの、
「綺麗な月だね。」
わざわざの答えは要らないらしい。
彼もまた、先程まで自身がそうだったよに 窓の外にぽかりと浮かぶ月を見上げておいで。
ブランケットの端を握ったままの手を回し、
彼より少しばかり背の低い芥川の身をしっかとくるみ込んだその頼もしい腕の中。
今や何処より安らぐ至福の場所だというに、
そうと思う端から別の意識にとらわれてしまう性懲りの無さよ。
「…どうしたの?」
項垂れたのが伝わったか、
もはや月に意識はないらしいと気づいて、そうと問われたものだから、
自分のそんな甲斐の無さへも消沈しつつ、
「これが夢だったら酷だと思いました。」
言を左右にするだけ無駄だと思うたか
いやいや、まだ少しは寝ぼけているのやも。
するりと零れたか細い声音は、静かな夜陰に溶け入る前に太宰にも拾えて。
どれほどに思わぬ言いようだったか、おやとその凛然とした双眸が意外そうに瞬いた。
“まったくまあ。”
この子ったらもうもうという苦笑が、傲岸さで鳴らした太宰の胸底を柔くつねる。
ただ振り向いてくれれば、関心を持ってくれればよかっただけ、
見込み違いだったかな、使えない子だと罵倒してばかりだった師へ
どれほど成長したかを認めてほしかっただけ。
醜い執着よと疎まれていてもいい、
ほんの刹那 目を見張り、やるようになったと告げてくれさえすればいい。
決して頑丈ではない身を叱咤し、過酷な戦場へ身を投じては強さだけを追い求め、
頻繁な度合いで半死半生となりつつも、
そんなささやかなことを切望していたなんて、果たして貪欲なのかどうなのか。
自覚があったかどうか、心的にも辛かったろうにと、
何よりこちらが落ち着けなかったほどの苦境に身を置いて来た、これもある意味 弊害か。
やっとのこと寄り添い合えている今の状況を、
自身へ幸いが添うなんて信じ難いと思うてか そんな切ないことを言う。
実は生きることへ憂いていた、こんな甲斐性のない男へそうまで入れ込まずともと呆れる反面、
それでもそこが愛いのだがね、と
莫迦なほど一途な愛し子への寵愛まみれな苦笑を何とか抑え込み、
「そんなにも私って現実味がないかい?」
「いえ、そういう訳では…。////」
あああ、そんな解釈も出来るよな言い回しだったのかと、
胸元に抱えた細い背中が慌てて伸びたの、愉快愉快とくつくつ笑いつつ。
どうどうと宥めるようにふんわりくるみ直してやって、
「ほら。」
「あ…。」
背中を抱くのに飽いたとでも言いたいかのよな、
ちょっと傍若無人、でも優しい手並みで。
一瞬だけ緩めた抱擁の中、青年の胸元を抱くように片腕をぐいと伸べ、
そのまま反対側の肩先を掴むと身をくるりとこちらへ振り向かせる。
浮足立ってた不意を突いての仕業であり、
芥川には抗する暇さえなかったろうて。
してやったりと子供のようにほくそ笑みつつ、
「この手が触れているのはどこの誰だい?」
ぽそんと懐へ頬を埋めた相手の頭上から、
その手を掴み取って自分の頬まで導いてやりつつ問いかける。
あ…と怯んでしまい声も返せぬのへ くくと笑って構いもせず、
「トワレだって変えちゃあいないよ?」
同じ匂いのはずだけどと暗に言いつつ、ああでもと ちょっとだけ訂正。
「タバコはやめたから、その分は変わったかなぁ?」
「…はい。」
気づいていたか、こくりと頷く子供じみた所作が可愛い。
間違いなく傍にいるよと、夢なんかじゃあないんだよと、
それこそ子供相手のような直接的なやり方で訴えかけるあやしようへ
細い吐息付きで馴染んでくれた痩躯、あらためてそおと抱き寄せて。
やわらかな猫っ毛が載る形のいい頭を、スリスリと頬でなぜてやり、
それへとうっとり目を伏せる、陶貌人形のように端正なお顔を至極間近から覗き込む。
「まあ…停戦状態なのが打ち切られれば、
已む無きこととはいえ正面切って対峙に運ぶことになろう間柄じゃああるけれど。」
今だってちょくちょく標的がかぶっては、
目的を譲るわけにもいかないと張り合う場面もないわけではなく。
「ええ、わきまえておりますよ。」
そうだよね、ああまで仲良くなった敦くんへでさえ遠慮しないもんね、キミ。
そんな風に肯定しながら、
「何なら私が直々に掻っ攫っていってもいいくらいなんだけど。」
どこまで本気でどこからが冗句なのか、
そのっくらいは容易いことだと くつくつと喉を鳴らして笑う人。
そんな意地の悪い言いようへ、怯えはしなくなったなと芥川もふと思う。
ほんの昨年までのこと、ムキになって対峙していた頃もころで、
いたぶるような文言にはどれほど冷たい言いようでも焼けつくような痛みを覚えたが、
今はそんな挑発さえ どれほど余裕のあるお人かと感じ入り、むしろ心地よく聞こえるし、
「毎夜のように攫いに来られるではありませぬか。」
揚げ足を取れば、おやと髪を撫でていた手が止まり、
だが、不興を買ったのではないらしく、“小癪なことを”とばかりに噴き出されてしまわれる。
結構真摯な対峙をこなした日であれ、けろりと迎えに来る太宰なのは相変わらずで、
そのくらいは許容のうちとでも言いたいか、
「私より上司や組織をとられるのが癪なだけだよ。」
帽子が好きな誰かさんに其処まで似なくてもいいものをと、判りやすくふくれてしまう。
甘い拘束の腕も緩まぬままで、
どんな条件へも譲りはしないよというのを体現しており、
何せ 生へさえ執着というものを持てずにいたこの私が、
唯一自ら選んで手に入れた、特別なキミなのだから、と
こればっかりは たとい直接言ったとて “何のことやら”と真に受けないことは明白で。
ああいいさ、そうまで自覚がないなら今まで同様そのまま追ってくれればいいと、
先だっての一周まわったごちゃごちゃ以来、ともすりゃあ開き直った若きお師匠様。
さあ、こうしていても冷えるだけだ。もうひと眠りしようじゃないか
はい。
何ならもう一回念入りに温め合ってもいいのだけれど…?
い、いや、あのその………。///////////
やさしい甘さがたちまち居ても立ってもいられぬ羞恥に煽られて煮えかかり、
明日も早いので、いやもうそれって今日の話だろうと、
しょむない言い合いを交わしつつ。
月が招いたことさえ忘れて、
緞子の天幕の中から抜け、まだ少しは温もりの居残る寝台へと戻る二人だった。
〜 Fine 〜 18.03.18.
*何のことはない一幕。
ちょっと甘いのを性懲りもなく目指してみましたが、
でもでも、荒くたいもーりんにはやはり似合わぬか、
ただただ惚気る二人のつもりが
ややこしい理屈言いな話になりかかっては修正が大変でした。
柄じゃあないのかなぁ。くっすん。

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